みふじの保育とシュタイナー教育

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第2回「みふじのつどい」より 平成19年7月11日

那須みふじ幼稚園園長 高橋明男

 

今日は、みふじのつどいの2回目です。 今日お話ししたい一番の目的はより良い保育、子どもにとって何が大事かを考えた時に、幼稚園と父母とのコミュニケーションがなによりも大切だと考えています。

第1回目は園長が交替したことで皆さんの不安を払拭する意味で、みふじ幼稚園の何が変化したのか、どこが変わらないのか等を中心にお話をいしたました。

今回は、もう少し踏み込んでお話しをしたいと思います。 シュタイナー教育とはどういうものなのか、分からないところがあったら、何でも遠慮せずに質問して欲しいと思っています。 では、なぜみふじ幼稚園がシュタイナー教育を取り入れたのか。 私の祖父母である内海政夫、内海暢子夫妻は教育に生涯をかけた人でした。 祖父が早く亡くなってしまいましたが、その後、祖母の暢子先生がこの土地にめぐり合ったのがきっかけで幼児教育を実践することとなったのです。 昭和40年当時、私の母弘子がシュタイナー教育を学ぶためにドイツに留学中でした。 そこへ暢子先生が訪ねて行きました。 それは教育の柱となる新しい理念を求めてのものでした。 これがきっかけとなりみふじ幼稚園にシュタイナーの教育を取り入れたのです。 ここまでがみふじ幼稚園の生い立ちから現在に至る経緯です。

シュタイナー教育が最も大切に考えていること、それは、子どもという神秘性、子どもの不思議さ、奥深さ、一人一人が持っている個性、畏敬の念を大切にすることがシュタイナー教育の根本です。

 

立って歩く、話す、考える

他の動物にはない人間だけが持っている特長として大きく3つあります。

直立歩行
言葉(言語)
思考能力

サルは直立歩行で人間と似たところがありますが、人間とはかなり違います。 人間には思考能力(考える事)があり、この部分では他の動物とは大きな違いがあります。

例えば、サルの場合(バナナ2本+リンゴ3コ=5)の計算はできません。 でも人間は応用力があるから単なる数の計算ができるのです。 そこには、テクノロジー(文明=3つの特徴・思考・言葉・直立歩行)があるからできるものです。

人間はどれだけ自己つまり自分自身という感覚を持てるのでしょうか。 例えばどこまで記憶を思い出せるか。 例えば自我の感覚を持つ最初の瞬間をふーっと気付くときなど。 赤ちゃんの時から○○ちゃんと名前を呼ばれるようになって、初めて自分は○○ちゃんなんだと認識すること。

子どもの落書きには3つのパターンがあります。

左右に直線の絵
丸く線を描く絵
閉じた輪を描く

この3種の落書きは、世界の子どもに共通しています。 ヨーロッパの子もイヌイットの子でも同じです。

子どもは、とじた輪が描けるようになったとき、一人称「ボク、ワタシ」が意識できてきます。 同時期に頭蓋骨もくぼみが無くなり閉じてくる時期と一致しています。 不思議な話であるけれども、発達の不思議さは数えるときりがないくらいです。

シュタイナー教育は発達の個性を尊重する教育です。 発達の早い遅いは人それぞれに段階があります。 ですから大人は子どもの発達段階を理解して、そのための環境を整えることが大切なのです。

 

子どもの発達と感覚体験

歩行=歩く、動くということ=赤ちゃんの動きを原始反射と言われています。 これは、もともと備わっている動きのことで他にもたくさんあります。

動物は初めから原始反射で生きているのです。 例えば、馬や牛は生まれて1時間くらいで立ち上がります。 これは、生まれてすぐ動くことができなかったら他の動物に狙われるため生きてゆくことができません。

ところが人間はある意味、お母さんのお腹の中で退化するのです。 直立歩行は野生に育つ動物にはできないことですが、人間の子は放っておいては大人になることができず死んでしまいます。

身体の変化の時期とくに乳幼児の身体の発達部分=特にこの時期に一番発達する部分は神経系(大脳=感覚〈五感〉)です。 この時期にたくさん教え込むと良く覚えます。 9歳までは成長し続けると言われています。 幼児は全身が感覚器官であるとシュタイナーは言っています。 例えば夫婦の間の雰囲気が良い悪いなど、子どもは敏感に感じ取っています。

この時期はできるだけ、多様な感覚体験(例えば、外に出る、木に触れる等)をさせることが大切です。 遊び道具としてのプラスチック製のものは一般に良くないと言われます。 それはなぜか、木は形や材質によっていろいろな感触がありますが、プラスチック製品は均一質であるためもろもろの感覚が育たないのです。

例えば、音の出る楽器にマンガの絵が書いてあります。 大人はこれをとても可愛いと思い子どもに与えるわけですが、実は、音が鳴ることと絵は何の関連もありません。

 

テレビやビデオの問題

テレビやビデオは良くないのはなぜか。 テレビから入ってくる情報量はたくさんありすぎて赤ちゃんの未熟な頭で処理しようとすると刺激が大きすぎると言えます。 しかし、現代社会において全くテレビを見るななんて言えません。 だから、発達段階を考えてできる限りテレビを見る時間を少なくする。 例えば週1回、月1回テレビを見ない日を作ると新鮮な感じが味わえたり、新しい発見みたいに今まで気がつかなかったことに気付いたりします。

おもちゃにしても、具体的に理想のおもちゃはこれだと断言できるものは特にはありません。 ただ、何の関連も無い絵を書いたりはしないほうが良いと思います。 また、外から見てしくみが分かるおもちゃを与えると良いと思います。

動きや運動に関しては脳の発達の段階から判断すると、脳を使って学ぶ所までは行ってないので何かを教え込むような能の使い方はあまりしない方が良いと思います。 例えば大工さんのカンナかけのように何度も何度も繰り返し身体で覚えた職人技、竹馬、又は料理にしてもその手順やプロセス、このような動きを通しての感覚体験は大きくなってからの独創性や創造性につながります。

 

地域の文化に根ざしたシュタイナー教育を

時間が迫ってきました。 最後にシュタイナー教育の基本的な価値観のようなお話しをしたいと思います。

どの地域にも昔話があります。 伝統もあります。 シュタイナーを取り入れると言うことはヨーロッパの文化や伝統をそのまま持ってくることでは無いのです。 その地域の伝統や文化を尊重しそこに根ざしたものを大切にすることです。

例えば、イスラエルにシュタイナー幼稚園を作ろうとしています。 そこの幼稚園はそれぞれの文化や伝統を大切にとの考えのもと、(イスラム、キリスト、ユダヤ)3教一緒の幼稚園をつくろうとしています。

エジプトにはエジプト、中国には中国なりの基本的な考え方を尊重すること。 これらが私の伝えようとしているシュタイナー教育の基本の基であることを申し上げておきたいのです。

今日は難しい話しではあったかと思いますが、いったん休憩とし11時30分から質疑応答の時間にしたいと思います。 ありがとうございました。

 

【質疑応答】叱り方について

質問: 子どものしかり方については、どのようなことに留意したらよいでしょうか。

愛情を持って叱ることが大切です。 しかし、親も人間ですからついきつい言葉になってしまうこともあるでしょう。 その時、叱り方が不本意だと思ったらそれを親として率直に認め、その後この子をどのように導くべきかに力を注ぐことが大切だと思います。

 

【質疑応答】保育の内容について

質問: 髙橋弘子先生が書いた『日本のシュタイナー幼稚園』の本の中に書いてある通りの保育をしているのか。 先生が子どもと一緒に遊ぶことをせず、大人としての仕事をしている。 子どもといっしょに遊んであげなくてよいのか。

基本的にそれで変化は無いと思う。 先生方の手仕事を子どもが見て模倣することが大切だと言うことです。 シュタイナー教育では個々の先生方の自主性を重んじるようにしています。 ただ、逆に、先生方には一つ一つの保育内容について、常になぜかと言うことを深く考えるようにしています。

先日私が行って来たシュタイナーの世界大会でも一つのテーマとして、シュタイナー幼稚園のあり方が本当に正しいのか深く考えようとの意見がありました。 それは、常に子どもに合わせるのではなく、大人の領分があるので、言葉で言うのではなく、お手本の意味で大人は大人の仕事を見せること、主婦、主夫の仕事だってそれがなければ生活が成り立たないわけですから、立派な仕事ですよね。

大人が意味ある仕事をしていると、自然と子どもは落ち着きます。 みふじ幼稚園ではそれを目指しています。

 

【質疑応答】仕事中にそばにいたがる子どもについて

質問: 料理の時等そばに来たがるがどうすれば良いのか。

マネをすることで何かを吸収するので、よいことではないですか。 野菜を洗うのを手伝ってもらうなど、工夫して手伝わせてあげれば、子どもは満たされるのではないですか。

 

【質疑応答】やりたがることを何でもやらせていいのか?

質問: 子どもが3人いるが、子どもはそれぞれに違いがあって同じように行かない。 2番目の子が編み物をしたいとねだるが弘子先生は発達の段階に応じて何をさせるかを考えある程度我慢させることが必要と言っていた。

小児科診察室を読んでもらって参考にするとよい。

 

質問: 小児科診察室は読んでいるが、このような件については書いてなかった。 どこに書いてあるのですか。

1部=医学、2部=発達、3部=教育論が書いてあります。 極論を言うようですが、例えば無人島に取り残されたら育児書を取り寄せるなどと言うことはあり得ないわけだから、本来教育の育児書など不要なんです。 例えば、テレビはよくないですが、子どもにとってすごく楽しみにしているアニメ番組があったとします。 それを無理やり見せないようにしたら、それは良い教育ではないと思います。 その子にとっての心を傷つけることになるからです。 つまりは、その場その場においてはそこに居合わせた親の判断力なのです。7